酸茎菜は上賀茂の特産野菜であり、乳酸発酵させた漬物として知られています。
収穫する時、その葉を傷つけぬよう大事に扱われます。漬物のもう一方の雄として千枚漬の聖護院蕪(かぶら)の葉がその場で無雑作に切り捨てられ顧みられないこととの何という違い。
酸茎菜は上賀茂の特産野菜であり、乳酸発酵させた漬物として知られています。
収穫する時、その葉を傷つけぬよう大事に扱われます。漬物のもう一方の雄として千枚漬の聖護院蕪(かぶら)の葉がその場で無雑作に切り捨てられ顧みられないこととの何という違い。
巨椋池は干拓されて1941(昭和16)年には農地として生まれ変わりました。そして今では甘くて苦みが少なく、煮くずれしないのでおでんなど煮物には最適の聖護院大根の特産地となったのです。
大徳寺をひらいた大燈国師は五条大橋下で暮らしていた時、鴨川に流れてくる野菜を食べていましたが、中でも牛蒡(ごぼう)が好物だったそうで、その開山忌には必ず堀川牛蒡の焼き牛蒡が添えられるそうです。
堀川牛蒡は豊臣秀吉が築いた壮麗な聚楽第(じゅらくだい)が破却された跡地に栽培され、聚楽牛蒡とも呼ばれました。「牛蒡引き堀川の水も濁るべし」とは江戸中期の青木鷺水の吟。
洛東の地、鴨川の扇状地としての聖護院はその地名を冠する大根や胡瓜(きゅうり)など京都の伝統野菜の発祥の地です。
蕪(かぶら)もその一つですが、都市化と病気の発生でその栽培地は洛西の衣笠、等持院、洛北の紫竹、玄琢、昭和に入ると桂へと転々とし、さらに西、ついに老ノ坂峠を越えて口丹波の亀岡の地へと『流浪』してゆきました。
おせち料理や祝い酒に疲れた胃や肝臓をいたわるかのように正月七日の人日の節句に芹(せり)など早春の七草を摘み取り、七草粥(がゆ)として食べる風習があります。万葉の昔から野に出かけての若葉摘みは行われてきました。芹は「ますらをと思へるものを大刀佩(は)きてかにはの田居にせりそ摘みける」と腰に刀をさしたままの男性も芹田に入って摘んでいます。「かには」とは相楽郡棚倉村にある地名です。万葉人はその高い香気と食感を賞味してきました。
時雨が京の底冷えを実感させる初冬、紅葉が落葉となって地に散り敷き、色を失ってゆくのに代わるようにして金時人参が登場してきます(写真上)。その赤い色は短根種で時知らずの西洋人参(にんじん)の明るい橙(だいだい)色ではなく、緋(ひ)色とも紅色とも、あるかなきかのほどの紫色をその内に秘めているような、沈んだ翳(かげ)りのようなものを漂わせる色合いです。それは冬ざれのすがれた京の風景の中の紅一点。
新たまの年を寿(ことほ)ぐおせち料理は、幸多かれと願う心の表われとして子孫繁栄、五穀豊穣(ほうじょう)、健康長寿への祈りを託して語呂や色彩をととのえて生み出されました。 味も姿も地味ですが慈姑(くわい)は重箱の一隅に欠かせません。