激変する世界に向けて1200年生き延びてきたKYOTOから生き延びる智慧とヒントを発信

怪異な姿の堀川牛蒡

怪異な姿の堀川牛蒡

大徳寺をひらいた大燈国師は五条大橋下で暮らしていた時、鴨川に流れてくる野菜を食べていましたが、中でも牛蒡(ごぼう)が好物だったそうで、その開山忌には必ず堀川牛蒡の焼き牛蒡が添えられるそうです。

 堀川牛蒡は豊臣秀吉が築いた壮麗な聚楽第(じゅらくだい)が破却された跡地に栽培され、聚楽牛蒡とも呼ばれました。「牛蒡引き堀川の水も濁るべし」とは江戸中期の青木鷺水の吟。

聖護院蕪の都振り

聖護院蕪の都振り

洛東の地、鴨川の扇状地としての聖護院はその地名を冠する大根や胡瓜(きゅうり)など京都の伝統野菜の発祥の地です。

 蕪(かぶら)もその一つですが、都市化と病気の発生でその栽培地は洛西の衣笠、等持院、洛北の紫竹、玄琢、昭和に入ると桂へと転々とし、さらに西、ついに老ノ坂峠を越えて口丹波の亀岡の地へと『流浪』してゆきました。

芹田は緑のじゅうたん

芹田は緑のじゅうたん

 おせち料理や祝い酒に疲れた胃や肝臓をいたわるかのように正月七日の人日の節句に芹(せり)など早春の七草を摘み取り、七草粥(がゆ)として食べる風習があります。万葉の昔から野に出かけての若葉摘みは行われてきました。芹は「ますらをと思へるものを大刀佩(は)きてかにはの田居にせりそ摘みける」と腰に刀をさしたままの男性も芹田に入って摘んでいます。「かには」とは相楽郡棚倉村にある地名です。万葉人はその高い香気と食感を賞味してきました。

冬の『紅一点』金時人参

冬の『紅一点』金時人参

 時雨が京の底冷えを実感させる初冬、紅葉が落葉となって地に散り敷き、色を失ってゆくのに代わるようにして金時人参が登場してきます(写真上)。その赤い色は短根種で時知らずの西洋人参(にんじん)の明るい橙(だいだい)色ではなく、緋(ひ)色とも紅色とも、あるかなきかのほどの紫色をその内に秘めているような、沈んだ翳(かげ)りのようなものを漂わせる色合いです。それは冬ざれのすがれた京の風景の中の紅一点。

泥中に育つ慈姑

泥中に育つ慈姑

新たまの年を寿(ことほ)ぐおせち料理は、幸多かれと願う心の表われとして子孫繁栄、五穀豊穣(ほうじょう)、健康長寿への祈りを託して語呂や色彩をととのえて生み出されました。 味も姿も地味ですが慈姑(くわい)は重箱の一隅に欠かせません。

柚子で華やぐ里

柚子で華やぐ里

京都駅からJR嵯峨野線に乗ってわずか16 分で保津峡駅に着きます。眼下は白い飛沫(しぶき)をあげる保津川の渓谷美です。行乞(ぎょうこつ)・放浪の俳人、種田山頭火の「なんといふ空がなごやかな柚子(ゆず)の二つ三つ」「柚子の香のほのぼの遠い山なみ」という、山頭火にしては屈折のない明るい句に誘われて、『柚子の里』と呼ばれる水尾の地を訪れたくなり汽車に乗ったのです。

師走の忙中閑・大根焚

師走の忙中閑・大根焚

「源氏物語千年紀」でにぎわう京都の気忙(きぜわ)しい師走。足元からじわじわと這(は)い上がってくる京都独特の底冷えは厳しく、つらいものがあります。千年の昔、清少納言が「冬はいみじう寒き、夏は世に知らず暑き」(『枕草子』)と記した気候は今も変わってはいません。そんな師走、西陣の大報恩寺と洛西鳴滝の了徳寺、三宝寺では年中行事の大根焚(だいこだき)が執り行われます。湯気の立つ熱々の大根をほおばって今年一年の罪とけがれを清めます。言わば忙中閑あり、今年一年、何とか無事息災に過ごすことができたという安堵(あんど)の表情が湯気の向こうに垣間見えます。