激変する世界に向けて1200年生き延びてきたKYOTOから生き延びる智慧とヒントを発信

京都が危ない006: 大火

京都が危ない
006: 大火

人の營み、皆(みな)愚かなるなかに、さしも危き原発をつくるとて、寶(たから)を費し、心を悩ますことは、勝れてあぢきなくぞ侍(はべ)る

京都が危ない005: 京都がほんまに危ない

京都が危ない
005: 京都がほんまに危ない

『京都が危ない』は、2011年新年からやり始めたいと準備しつつ、アップできずにいて、あの3月11日の東日本大震災が起こってしまって、慌ててアップしたが、今回で5回目。

 京都と京都周辺の大地震はいつ起こってもおかしくないと言われていて、その大地震による火災が心配で、今回は火災について警告を、と思っていたが、事情が変わった。大地震と大津波だけでも未曽有のとんでもない大災害だったのに、原子力発電所の爆発事故などと言うさらにとんでもないことが起こり、地震と津波の被災地や被災者の復旧に重い重い足枷(あしかせ)をつけているようなことになってしまっている。

震災の記憶:004 ~阪神淡路大震災取材日記~

震災の記憶:004 
~阪神淡路大震災取材日記~

 この震災の取材で、同じ現場に何度も行けたことはとても運が良かった。

 取材する側、される側、お互いに少しでも交流を図り打ち解けてから出ないとなにも分からないからだ。普通の取材だと、「なにが必要ですか?」と問いかけると大概それなりの答えが返ってくるものだ。だが、様々な事情が重なり合う避難所では、もっと慎重に進めないと真実は出てこない。

震災の記憶:003 ~阪神淡路大震災取材日記~

震災の記憶:003 
~阪神淡路大震災取材日記~

 船内には、たくさんの生活必需品が揃っていた。食べ物も、調理する火気も水も。寝台には毛布があり、明かりや暖房まで整っていた。おまけにここは水の上。よほどの余震がない限り、二次災害はありえない。シャワーまで完備されていた。私はしっかり食事をいただき、くつろぐことが出来た。

004:京都・災害の歴史

004:京都・災害の歴史

 「この世のものとは思えないような風景だった。山は崩れ、川は埋もれ、海が傾いて、陸地が水浸した。大地が裂けて、水が湧きでて、岩が割れて谷に転がっていく。渚を漕いでいた船は波に翻弄されて、道行く車はひっくり返った」と言う。

 これは、2011年3月11日の東日本大震災のリポートではない。

震災の記憶:002 ~阪神淡路大震災取材日記~

震災の記憶:002 
~阪神淡路大震災取材日記~

 この頃、陸路で神戸に向かうと、大阪から自動車で12時間かかるといわれていた。歩いているに等しい速度だった。それでは仕事にならないということで、なんと漁船をチャーターし、大阪港から三宮へ移動した。ふきさらしの甲板で、恐ろしく寒い風と波しぶきを受けながら、子一時間船に揺られる。

 そして目の前に見えてきた神戸の町並み。都会とは思えない静けさに包まれていた。船上で、身体の芯まで冷え切ったが、神戸の町は同じくらい寒く感じられた。これから4泊5日でこの町に泊り込み、震災後の神戸の様子を1クルーとして報道する。

 迎えに来ていた取材車で三宮の大手広告代理店に向かう。港からそこまで、10数分。廃墟と化した三宮を目の当たりにする。全壊したビルがそこらじゅうにある。跡形もなく崩壊したものや、中ほどの階層がぺしゃんこになったもの、大きく傾いて隣の建物に寄りかかっているもの、様々だ。

003:京都が危なかったが・・・

003:京都が危なかったが・・・

 原発を推進するために、テレビCMをはじめ、ありとあらゆる手段を使ってきた。そして、反対派共産党、賛成派自民党と言う二分法で、原発の真の恐怖を、政治的な立場で隠蔽することにも躍起だった。さらに悲しいことには、反対派を圧殺するために、人間とは思えないような仕打ちをしてきた。その現場を京都府丹後半島で見てきた。にもかかわらず、人間の叡智が丹後半島に原発を作ることを止めた。

 原発問題は、政治的な立場ではない。地球と言う、あるいは日本列島と言う私たちが生きさせていただいている場を、生きている一生から言えば、ほぼ永遠と言う時間スケールで汚染してしまっていいのか、という問題である。