激変する世界に向けて1200年生き延びてきたKYOTOから生き延びる智慧とヒントを発信

震災の記憶:004 ~阪神淡路大震災取材日記~

震災の記憶:004 
~阪神淡路大震災取材日記~

 この震災の取材で、同じ現場に何度も行けたことはとても運が良かった。

 取材する側、される側、お互いに少しでも交流を図り打ち解けてから出ないとなにも分からないからだ。普通の取材だと、「なにが必要ですか?」と問いかけると大概それなりの答えが返ってくるものだ。だが、様々な事情が重なり合う避難所では、もっと慎重に進めないと真実は出てこない。

震災の記憶:003 ~阪神淡路大震災取材日記~

震災の記憶:003 
~阪神淡路大震災取材日記~

 船内には、たくさんの生活必需品が揃っていた。食べ物も、調理する火気も水も。寝台には毛布があり、明かりや暖房まで整っていた。おまけにここは水の上。よほどの余震がない限り、二次災害はありえない。シャワーまで完備されていた。私はしっかり食事をいただき、くつろぐことが出来た。

震災の記憶:002 ~阪神淡路大震災取材日記~

震災の記憶:002 
~阪神淡路大震災取材日記~

 この頃、陸路で神戸に向かうと、大阪から自動車で12時間かかるといわれていた。歩いているに等しい速度だった。それでは仕事にならないということで、なんと漁船をチャーターし、大阪港から三宮へ移動した。ふきさらしの甲板で、恐ろしく寒い風と波しぶきを受けながら、子一時間船に揺られる。

 そして目の前に見えてきた神戸の町並み。都会とは思えない静けさに包まれていた。船上で、身体の芯まで冷え切ったが、神戸の町は同じくらい寒く感じられた。これから4泊5日でこの町に泊り込み、震災後の神戸の様子を1クルーとして報道する。

 迎えに来ていた取材車で三宮の大手広告代理店に向かう。港からそこまで、10数分。廃墟と化した三宮を目の当たりにする。全壊したビルがそこらじゅうにある。跡形もなく崩壊したものや、中ほどの階層がぺしゃんこになったもの、大きく傾いて隣の建物に寄りかかっているもの、様々だ。

震災の記憶:001 ~阪神淡路大震災取材日記~

震災の記憶:001 
~阪神淡路大震災取材日記~

 1995(平成7年)1月17日 午前5時46分。阪神淡路大震災が起こる。

 当時、大阪市内に住んでいた。震災の起こる数分前、カラスの鳴き声と飛び立つ羽音で目を覚ました。直感で感じたのは野生の生き物が「逃げていく」感じ。これまでこんなことでは起きなかったし、起きてもまた眠りにつくものだが。
だが、この時は違った。何かに不安を駆り立てられ、悪い予感がする。カーテンを開けて、外の様子を見るが何も変化なし。時計を見ても、仕事に起きるには早すぎるし、かといって目と神経は冴えてきてとても眠れそうにない。 「どうしようか?」そんなことを考えているうちに、これまで感じたことのない重低音の地鳴りと共に大地の底から揺さぶられ始めた。