激変する世界に向けて1200年生き延びてきたKYOTOから生き延びる智慧とヒントを発信

●今は無き巨椋池
 師走の千本釈迦堂での大根焚(だいこだき)にはまん丸い聖護院大根が用いられています。

 尾張の細長い宮重(みやしげ)大根を洛東聖護院の地で栽培し、選別を重ねて現在のような丸々とした姿の大根となったのでした。「冬畑の大根の茎に霜消えて朝戸出寒し岡崎の里」は幕末の歌人で美貌(びぼう)かつ薄幸で知られた太田垣蓮月尼の歌。

 その産地は洛東の聖護院、岡崎一帯から、東山に沿って北の白川、一乗寺へ移り、さらに大宮、鷹ヶ峰へ。「大根の花紫野大徳寺」という虚子の句は明治半ばの吟ですが、さらに大正に入ると太秦へと移り、昭和に入ってからは淀川の南の御牧村(現・久御山町)へという変遷を重ねて、今では別名淀大根と呼ばれています。

 昭和初期まで、伏見・宇治にまたがった約8平方km にも及ぶ、宇治川と木津川にはさまれた広大な池がありました。巨椋(おぐら)池です。淡水漁業が行われ、夏には一面蓮(はす)の花が咲き、蓮見舟が出て避暑も兼ねてにぎわいを見せていました。和辻哲郎は巨椋池で「蓮の花というものがこれほどまでに不思議な美しさを持っていようとは」として日本人の浄土への幻想を見たといいます。地下茎の蓮根(れんこん)は特産野菜となりました。秋は月見、冬は葦(あし)をかき分けて水鳥を狩りました。

 そんな巨椋池は干拓されて1941(昭和16)年には農地として生まれ変わりました。そして今では甘くて苦みが少なく、煮くずれしないのでおでんなど煮物には最適の聖護院大根の特産地となったのです。

●大根畑に風渡る
 京阪淀駅で降り、京都(淀)競馬場の傍らを過ぎ、淀大橋を渡って宇治川をさかのぼりました。「大阪湾から39km」の標識があり、やがて久御山町一口(いもあらい)地区。一帯は700ha もの田畑で、冬、一面聖護院大根の葉の緑で埋まります。

 栽培農家の人は「淀大根の風味が一番生きる料理は風呂吹き大根です」と断言。2月いっぱいが収穫時期(写真上)。春めいてきた頃、大根畑に残された大根から薄い紫色がほんのりと花びらをふちどった白い花が咲いていました(写真下)。

 恥じらいを含んだかのような、清にして楚(そ)の趣を漂わせていました。野菜の花はけなげで美しい。


[文・写真:菊池昌治]

【菊池昌治の著作】

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