●性よき菜
寺院の門前によく「不許葷酒入山門(くんしゅさんもんにいるをゆるさず)」と刻まれた石柱を見かけます。仏道修行の妨げになるとして口に辛く鼻に臭(にお)いのある食物を遠ざけているのです。
山口誓子が吟じた「韮(にら)の花女人禁ぜし境に入る」の句がそのことを伝えています。
韮は『古事記』の昔、「賀美良(かみら)と呼ばれ、その臭いには邪悪なものを追い払う力があると信じられていました。アイリンという含硫化合物による臭いなのですが、肉類の臭い消しの役割も果たしています。初めは薬用として粥(かゆ)に入れて食されていました。江戸初期の農作物の栽培法や効能を記した『農業全書』は「起陽草とて、人を補ひ、温むる性よき菜なり」としています。
また韮には「懶(らい)人草」という別名もあります。畑の隅に一畝だけ韮を栽培していた農家の人は「韮は刈られても刈られても新しく芽を出して来よる。何より、手間をかけんでも育つから、懶(なま)け癖のある人の家庭菜園にはもってこいかも知れませんな」と笑う。普通の野菜は生長点が茎の先端にあるのですが、韮はそれが地際にあるため再生力が強いのです。
●春先の味わいこそ
初夏、韮は先のとがった、雪のような白い、小さな花を数多く咲かせます(写真上)。百合(ゆり)科の多年草で、ほのかな甘い香りも放つのですが、剣先を思わす鋭い、雪白の花の姿は百合の清楚(せいそ)な姿とはまたちがう、緊張感の漂うつよさを見せています(写真下)。
正岡子規は「韮剪(き)って酒借りにゆく隣かな」と吟じています。中国に「雨を冒(おか)して韮を剪る」という言葉があります。友の来訪を心から喜び、雨中に韮を切って精一杯もてなすことを意味しています。
光をあてずに軟白栽培した黄韮は中華料理によく用いられています。
韮の旬は何といっても春でしょう。その春韮について詩人の薄田泣菫(すすきだ・きゅうきん)は「春先に土を破って出る若芽にかぎるもののようだ。その舌触りの滑かさにおいて、味の甘さにおいて」として、「春先のものは、他の季節のそれに比べると、まるで別物のやうな風味の濃(こまやかさ)を感じさせてくれる」と言いきっています。
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[文・写真:菊池昌治]
【菊池昌治の著作】
『京都染織模様 (日本図書館協会選定図書) 』
『京都転転』
『京都 味の風土記 』
『万葉散策』
『京都文学巡礼―作家の眼で見た古都像』
『京都ひと模様』
『京洛往還記』