激変する世界に向けて1200年生き延びてきたKYOTOから生き延びる智慧とヒントを発信

●中も外も異形
 大徳寺をひらいた大燈国師は五条大橋下で暮らしていた時、鴨川に流れてくる野菜を食べていましたが、中でも牛蒡(ごぼう)が好物だったそうで、その開山忌には必ず堀川牛蒡の焼き牛蒡が添えられるそうです。

 堀川牛蒡は豊臣秀吉が築いた壮麗な聚楽第(じゅらくだい)が破却された跡地に栽培され、聚楽牛蒡とも呼ばれました。「牛蒡引き堀川の水も濁るべし」とは江戸中期の青木鷺水の吟。

 牛蒡根という言葉があるように細く長い根が普通なのに、堀川牛蒡はずんぐりとして、怪異とさえ言えるいかつい姿をしています(写真上)。人の腕ほどの太さで中はスが入って空洞になっており、側根は蛸(たこ)の足を思わせるという異形ぶりです(写真下)。

 その姿形は耕土が浅い土地柄から考え出された栽培法から生まれたのです。畑には斜めに寝かせて植えつけて育てますが、根は先端が切られているので長くならずに肥大し、側根も指ほどの太さに育つのです。

●その孤独
 牛蒡は菊科の植物で一属一種の、同属の植物はない孤高の野菜なのです。食用とするのは日本と中国、韓国だけです。そのことが敗戦後、悲劇を生みました。日本の捕虜収容所でのこと、野菜不足を補うために牛蒡を料理して出したのでしたが、極東裁判で、木の根を食わせたとして捕虜虐待の罪に問われて処刑されたのです。食文化の相違の生んだ悲劇でした。

●その風味
 堀川牛蒡はその姿形に似合わず、やわらかく、独特の香りがあって、空洞に鴨などのすり身を詰めたり、揚げものや焼きものなどにする、手間をかけるプロ好みの食材といえます。

 北大路魯山人は「堀川牛蒡というものは、茶味があり雅味がある。……見かけは素人好みの美しさでないために、お客によってはどんなにうまいか知らないで手をつけない場合もある」と記しています。

 かつて八幡市の園地区の太い牛蒡も淀川を往来する三十石船へ食べ物を売るくらわんか舟の名物でした。井原西鶴の『西鶴織留(おりどめ)』には「船のくだる時、たゝき牛蒡売に出ける男」とあり、『東海道中膝栗毛(ひざくりげ)』
で伏見に着いた後、「あの牛蒡の大きさ、あいつはめずらしい」とは弥次さんの呟(つぶや)き。

堀川牛蒡_1

堀川牛蒡_2

[文・写真:菊池昌治]

【菊池昌治の著作】

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