●その意外性
朝まだき、地を這(は)うように蔓(つる)を伸ばして日に日にほの赤さを増してゆく苺(いちご、写真上)の葉が露を宿していました。苺の葉縁には水孔(すいこう)があって、朝露は苺の健康な生理なのです。葉の冴(さ)えた緑に白い5弁の花が映えていました(写真下)。「まだ青きいちごや花の咲き残り」とは子規の吟。
親株から横に蔓を這わせて子株を次々に増やしてゆくバラ科の多年草です。花言葉は「幸福な家庭」。たくさんの子を生む苺になぞらえて、草に母でいちご。
苺は果物ではなく野菜なのです。一般的に野菜とは草本性の植物を指し、果実は木本性の植物のことなので草本性の苺は立派な野菜なのです。
与謝野晶子と鉄幹の愛を争った薄幸の美女、山川登美子の「手づくりのいちごを君にふくませてわがさす虹の色に似たれば」という歌や、啄木の「青原の中に熟れたる一粒(そう)の苺と思ひ口づけしかな」の苺の最大の特長でもある赤い『果実』は真ッ赤な嘘(うそ)、偽果なのです。果肉として味わっているのは花托の肥大化したもので、その表面に点々とある粒々が種なのです。
●季節感の喪失
今では姿形も赤さも甘さも酸味も多種多様な苺ですが、日本には江戸時代に渡来し、明治以降、新品種が導入され、明治末には静岡県久能山での石垣栽培が始められました。やがて露地栽培、戦後、促成栽培や抑制栽培などの技術が発達し、初夏の味覚という季節感は失われてしまいました。
赤の濃さ、粒の肥大化は味覚を知らず、登美子や啄木の感性から離れ、『林檎(りんご)の頬(ほ)っぺ、苺のような唇』という形容した世界からは遠くなりました。
●女ごころの揺れ
清少納言は『枕草子』の中で、平安の昔のこととて野性種の苺ですが「名おそろしきもの」「あてなるもの」「見るにことなることなきもの」「おぼつかなきもの」としてその姿形や色に筆を及ぼしています。
「恋したや苺一粒口に入れ」は鈴木真砂女、「こころふとうつろにつぶす苺かな」と中村汀女、「ひとつづつ夢捨つる如苺つぶす」は藤田湘子の、苺に仮託した、あるいはあぶりだされた女ごころの揺れが垣間見えた3吟。
止
[文・写真:菊池昌治]
【菊池昌治の著作】
『京都染織模様 (日本図書館協会選定図書) 』
『京都転転』
『京都 味の風土記 』
『万葉散策』
『京都文学巡礼―作家の眼で見た古都像』
『京都ひと模様』
『京洛往還記』