激変する世界に向けて1200年生き延びてきたKYOTOから生き延びる智慧とヒントを発信

●氷期からの池
 上賀茂にある深泥ヶ池はどんな季節に訪れてもひっそりとして、水面が動く気配もありません。「隠沼(こもりぬ)」という言葉が思い浮かびました。

 この池はウルム期(氷期)の太古から存在しており、かつて京都は湖の底であり、「冬はいみじう寒き、夏は世に知らず暑き」(『枕草子』)という気候風土の源です。氷期の生き残りである蓴菜(じゅんさい、写真上)や河骨(こうほね)などの貴重な水生植物群落が自生しています。

 蓴菜の若芽は初夏の味覚です。蓴菜を採るために舟を浮かべる様は洛北の風物詩ともなっていました。蕪村の句に「ぬなはとる小舟に歌はなかりけり」があります。上賀茂神社の社家の家に生まれ、書、料理、陶芸に非凡の才を発揮した北大路魯山人は「京の洛北深泥池の産が飛切りである。これは特別な優品で、他に類例を見ないくらい無色透明なところてんが多く付着している」と書きとめ、その「ところてん」については「その造化の神の教えによって分泌する粘液体である。(中略)新芽に付着しているために、じゅんさいは美食としての価値がある」と記しています。

●触覚の快感
 『古事記』には「蓴(ぬなは)」と表記され、『万葉集』には「わが情ゆたにたゆたに浮きぬなは辺にも沖にも寄りかつましじ」と心の動揺を水の上に漂う蓴にたとえています。蓴は沼なわ、水中に長く這(は)う根や葉柄を縄と見立てています。

 中世の歌謡集である『梁塵秘抄』には聖(ひじり)の好む食べ物として蓴菜を挙げています。

 魯山人が蓴菜を美味とした理由は一(いつ)にかかって「ところてん」にあるとしました。自他ともに美食家を自負した谷崎潤一郎は「人間の好む食物には味覚の快感を第一の条件とする物と、触覚の快感を第一の条件とする物との二つの種類がある」と耽美(たんび)的な言葉を残しています。蓴菜の味わいは「触覚の快感」そのもの。

 深泥ヶ池(写真下)は天然記念物に指定され、既に蓴菜の採取は行われていません。今は秋田や山形が特産地です。

 食物に関して唾(つば)をのみこむしかない文章を残した作家の吉田健一は梅雨時分、山葵醤油(わさびじょうゆ)で和(あ)えて冷やした蓴菜を「これが味というものだと言う他ない」という至言を残しています。

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[文・写真:菊池昌治]

【菊池昌治の著作】

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