●里の原風景
秋の抜けるような青空を背景にした柿は美しく、一幅の絵になっています。それは日本の里の風景を象徴して郷愁を誘います。
日本には全国各地に名産の柿が栽培されており、その数は900種を超すといわれています。芭蕉の「里古(ふ)りて柿の木持たぬ家もなし」の句は、すだれのように干し柿を吊(つ)るしているかつての穏やかな里の日々をしのばせます。
飽食の現代では柿に代わる食べ物がありすぎて、久保千鶴子の「捥(も)ぎ手なき柿燦爛(さんらん)と村滅ぶ」という句の世界が現実なのかもしれません。
梅雨入り前、淡い緑色を帯びた柿の花が咲きます(写真上)。そして無造作に地に落ちて汚れてゆきますが、子どもたちはその花を惜しんで拾い集め、糸に通して首飾りとして遊びました。春の紫雲英(れんげ)を摘んで編み、首飾りにしたように、草花遊びの良き相手でした。
●京の柿
芭蕉は嵯峨野にある落柿舎に何度か滞在しています。「此地閑寂の便りありて、心すむべき処(ところ)なり。……窓前の艸(くさ)高く、数珠の柿の木枝さしおほひ」(「落柿舎ノ記)と描いています。柿の木は嵯峨野の秋に似合います(写真下)。
京都にも柿の特産地があります。洛西は大枝の富有柿と宇治田原の小さな鶴の子柿を干した古老柿です。
大枝では栗を栽培していたのでしたが、1934(昭和9)年の室戸台風による被害、さらに病虫害にやられて栗が絶滅してしまい、岐阜から富有柿を導入して柿の栽培が始まりました。
木津川市加茂町の当尾(とうの)と鹿背山地区でも柿の栽培が続いており、ひなびた石仏の里の風景によく似合っています。
●子規の柿
正岡子規の柿好きは有名です。「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」はその代表的な句です。子規は「柿は野気多く、冷かなる腸(はらわた)を持ちながら味はひいと濃(こまやな)なり」と毎日のように柿を食べたようです。「柿喰(く)いの俳句好みと伝ふべし」の句の前書きには「我死にし後は」と書き残しています。
捥がれることもなく熟して地に落ちるばかりの柿を見たら子規はどんな句をつくったことでしょう。
柿の木の頂きにたった一つ捥ぎ残された柿があります。「木守り柿」です。
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[文・写真:菊池昌治]
【菊池昌治の著作】
『京都染織模様 (日本図書館協会選定図書) 』
『京都転転』
『京都 味の風土記 』
『万葉散策』
『京都文学巡礼―作家の眼で見た古都像』
『京都ひと模様』
『京洛往還記』