●重箱の片隅で
新たまの年を寿(ことほ)ぐおせち料理は、幸多かれと願う心の表われとして子孫繁栄、五穀豊穣(ほうじょう)、健康長寿への祈りを託して語呂や色彩をととのえて生み出されました。 味も姿も地味ですが慈姑(くわい)は重箱の一隅に欠かせません。
薬草学の本である『本草綱目』には「一根ニ毎年十二子ヲ生ジ、慈姑ノ諸子ヲ乳スルニ似タリ」と慈しみに満ちた母がたくさんの子供に授乳する姿を見ています。そこに子孫繁栄を託しました。さらに小球から出ているとがった芽に、この一年良い芽が出るようにとの願いが掛けられています。
●万葉の昔から
渋い色あいの紫青色を呈した慈姑は泥田の中で育まれます。かすかな甘みと独特のホロ苦さがあります。
『万葉集』には「君がため山田の沢にゑぐ摘むと雪消(ゆきげ)の水に裳(も)の裾(すそ)濡(ぬ)れぬ」とあり、また「あしびきの山沢ゑぐを採(つ)みに行かむ日だにも逢はむ母は責むとも」と、せめて山の沢のゑぐを摘みにゆく日だけでも逢って下さい、たとえ母が責めましょうともとの相聞歌です。万葉人はゑぐ、つまり慈姑をどんな風に調理して食べたのでしょう。
葉と葉柄の姿が鍬(くわ)に似ており、鍬芋の略ともいわれています。中国原産でオモダカ科の水生植物で野菜として食用にするのは中国と日本だけです。
晩秋、葉が黄変する頃、泥田の土中では地下茎が縦横に這(は)いまわり、その先端にできる塊茎が慈姑なのです(写真上)。寒風の中、葉や茎を刈り取り、柄を短くした備中鍬のような掘り道具で泥を起こしてゆきます(写真下)。
「烏芋(くわい)掘る男襷(たすき)の荒々し」という杜草の句や「泥籠(かご)を押しすゝみつゝ烏芋掘る」という兎月の句は慈姑掘りが厳しい労働であることを教えています。
京都市南部の鳥羽周辺には湿田が多く、稲作には適さず、慈姑を栽培していました。肥料を余り必要とせず、常に一定の水を流入させればおのずと育ったからです。
泥中に育つ蓮根(れんこん)も慈姑も精進料理には欠かせません。仏法の理にもかなっているのでしょうか。他の野菜にはないビタミンB12 を含み、いぶし銀のような存在の慈姑です。
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[文・写真:菊池昌治]
【菊池昌治の著作】
『京都染織模様 (日本図書館協会選定図書) 』
『京都転転』
『京都 味の風土記 』
『万葉散策』
『京都文学巡礼―作家の眼で見た古都像』
『京都ひと模様』
『京洛往還記』