●自然に還す
生老病死は人の逃れ難い宿命ですが、今生を必死に生きるために、人は身近な野菜に祈りを託しました。
土用丑(うし)の日に執行される胡瓜(きゅうり)封じもその一つです。
平安の昔、弘法大師が大日如来の心境に入って修行した祈祷(きとう)が胡瓜封じです。すべての病気は肉体のどこかに不自然なことが発生した時に現われるとして、その病気を胡瓜の中に封じ込めて、土の中に埋めて自然界に還(かえ)すことで病気・厄災は消滅するというものです。
芥川龍之介に「橋の上ゆ胡瓜な(投)くれば水ひびきすなはち見ゆる禿(かむろ)のあたま」の歌は『河童(かっぱ)』という作品につながります。川に棲(す)むという河童に災難除(よ)けを祈って胡瓜に願い事を書いて川に流す水神信仰があります。
随筆家の幸田文は「川筋の思い」として「夏は河童さまに水難除けを祈って、初成りの胡瓜に性名年齢を書いて桟橋から流すのだが、その川面(隅田川)からの夕日のさかんさ」と書いています。やがて流された胡瓜は海へと還ります。
●弘法大師ゆかりの寺で
京都での胡瓜封じは三弘法のうち、西賀茂の神光院と洛西仁和寺の五智山蓮華寺で執り行われます。
その土用丑の日は暦の上の満願成就の日と考えられており、諸仏の加護が最も恵まれるとされています。
そして胡瓜には瓜類の中でも特に呪術性があると考えられていました。『養生訓』を著した貝原益軒は『菜譜』の中で胡瓜について「瓜類の下品(げぼん)なり、味よからず、かつ小毒あり」と述べています。
姓名、年齢、願い事を書いて胡瓜を添え、修行僧による加持祈祷(きとう)を受けた胡瓜で体の悪い所を撫(な)でさすり、胡瓜に病気や厄災を移して土の中に埋めるか川に流して自然に還すのです。
神光院の境内には「きうり塚」があり、そこに祈祷を終えた胡瓜が供えられていました(写真上)。塚に埋められ、地に還るのです。
五智山蓮華寺は五智不動に祈れば病気にかからないとされ、は柴灯(さいとう)護摩が焚(た)かれて胡瓜封じの祈祷が執行されます(写真下)。
炎暑の中の参詣(さんけい)は、それだけの祈りの必死さが漂っていて、敬虔(けいけん)な表情だけがあります。
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[文・写真:菊池昌治]
【菊池昌治の著作】
『京都染織模様 (日本図書館協会選定図書) 』
『京都転転』
『京都 味の風土記 』
『万葉散策』
『京都文学巡礼―作家の眼で見た古都像』
『京都ひと模様』
『京洛往還記』