●「灯をとぼす」
今の食卓から胡瓜(きゅうり)が姿を消したら、それに代わる野菜はあるのでしょうか。食生活の洋風化と軌を一にして胡瓜は今や不可欠の食材となりました。周年栽培が可能となって、もはや、胡瓜に季節感はありません。戦後、塩化ビニルの出現によって保湿性・保温性を保てるようになり、また接ぎ木の技術によって生産性が飛躍的に高まりました。
胡(こ)とは中国の西域を意味していますが、奈良時代の正倉院文書には「黄瓜」と記載されています。平城京跡から胡瓜の種が出土していますが、近代に入るまでの長い間、日本では黄色く完熟したものを食べるのにとどまり、食材としてはさして重用されてはきませんでした。
伏見区深草の農家の人は「今ではほとんど食べませんが、ここらでは『灯(ひ)をとぼす』といって、黄色く完熟した胡瓜を汁の実などに用いていました」と語っていました。
江戸初期の初めての農業書である『農業全書』は「是(これ)下品(げぼん)の瓜にて賞翫(しょうがん)ならず」と断じています。
●やはり夏が似合う
京都には伝統野菜の一つに聖護院胡瓜がありましたが、今は姿を消してしまっています。江戸後期、『初物七十五日』などと珍重された時代性もあって、聖護院の地では藁(わら)などを活用した温床育苗技術が発達し、胡瓜の促成栽培が広まってゆきました。しかし、近代に入って敗戦後の昭和30年代にはその姿を消してしまいました。
現在の緑の鮮やかな、歯切れの良い品種ですが、以前の胡瓜は触るとチクリと刺すようなブルーム(突起)を持った華北系といわれる品種で、頭部の方に苦み成分が含まれて、その部分を切り捨て、塩をつけるなどして食していました。
季節感がなくなったとはいっても、やはり胡瓜には夏が似合います。太宰治は「女生徒」の中で、「キウリの青さから、夏が来る。五月のキウリの青みには、胸がカラッポになるような、うずくような、くすぐったいような悲しさがある」と表現しています。
有馬籌子 の「野は濡(ぬ)れて朝はじまりぬ花胡瓜」 の句は夏の朝ならではの風情です。黄色い花(写真上)が受粉するとそこからか細い胡瓜が育ってゆきます(写真下)。「花のあと早や見え初むる胡瓜哉(かな)」と夏が長(た)けてゆきます。
止
[文・写真:菊池昌治]
【菊池昌治の著作】
『京都染織模様 (日本図書館協会選定図書) 』
『京都転転』
『京都 味の風土記 』
『万葉散策』
『京都文学巡礼―作家の眼で見た古都像』
『京都ひと模様』
『京洛往還記』