激変する世界に向けて1200年生き延びてきたKYOTOから生き延びる智慧とヒントを発信

●つかの間の清涼
 姿も形も、色も味わいも多彩な果物が季節を問わずあふれて、百花繚乱(りょうらん)の観があります。けれど、そんなに遠くはない時代、果物の持つ甘さは渇望の対象でもありました。

 夏の果物の定番といえば西瓜(すいか)や真桑瓜(まくわうり、写真上)でした。井戸などで冷やしてかぶりつけば一服の清涼剤でしたが、真桑瓜の姿を見なくなりました。

 遠く万葉の昔、山上憶良は「瓜食(は)めば子ども思ほゆ 栗食めばましてしのばゆ」と亡き子をしのんで詠じています。瓜の、栗の甘さは万葉人にはこの上ない味わいだったことでしょう。

 憶良の詠んだ瓜は当時山城名産だった越(しろ)瓜ではなく、真桑瓜のような甜(なめ)瓜でした。

●瓜の名所
 かつて京都では嵯峨の化野や東山の鳥辺野と並ぶ葬送の地であった洛北の蓮台野は真桑瓜の名所でした。
 
 芭蕉は元禄7(1694)年5月22日から6月15日にかけて嵯峨野の落柿舎に滞在した折、蓮台野を訪れ、「朝露によごれて涼し瓜の土」「瓜の皮むいたところや蓮台野」と吟じています。
 
 当時の真桑瓜は長さが12cm前後、未熟の時期は緑色で成熟すると黄変し、緑の縞(しま)があり、皮は薄く光沢があったそうです。

 真桑瓜は美濃の真桑村(現岐阜県本巣市真正町)で栽培され、味の良さで知られました。

 「天下布武」を掲げ、既成の権威におもねらず天下への道を歩んだ織田信長でしたが、その目配りにぬかりはありませんでした。

 宮中への貢進をこまかに記した『御湯殿上日記』は例えば天正3(1575)年6月29日の項には「のふなかよりみのゝまくはと申すめい所のうりとて。二こしん上申す」、7月5日には「のふなかより。きふ(岐阜)よりのほりたるとて。うり一こしん上申す」、続いて7日12日「あふみ(近江)のまくわのうりとて。のふなか一こしん上」と書き留めています。

 錦市場に鮮やかな黄色に輝く瓜が並んでいました。滋賀県高島市安曇川町産の小川真桑瓜でした。
 
 朴訥(ぼくとつ)な昔ながらの瓜の味わいが甦(よみがえ)り、買い求めました(写真下)。「初真桑四つにや断たん輪に切らん」という芭蕉の吟を重ね合わせて。

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[文・写真:菊池昌治]

【菊池昌治の著作】

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