●物忘れ
落ち目の旅籠(はたご)「みょうが屋」の主は、泊り客が財布や荷物を置き忘れて旅立つようたくらみ、みょうが尽くしでもてなします。しかし主の方が肝心の旅籠代をもらい忘れてしまうという古典落語があります。
これは釈迦の弟子であった周梨槃特(しゅりはんどく)はもの忘れが激しく自分の姓名すら忘れてしまうので、自分の名を板に書いて背負っていたそうです。その槃特の死後、墓に生えてきたのがみょうがで、食べると物忘れをするという言い伝えが生まれました。
江戸川柳に「吸い口に入れる茗荷(みょうが)をもう忘れ」があり『軽口(かるくち)露がはなし』巻三には「物読み覚えんことをたしなむ人は鈍根草(どんごんそう)と名付、物忘れするとてかたく食はぬ物じゃ」「それならばおれは猶(なほ)くふべし。ひだるさ(ひもじさ)を食ふて忘れう」とみょうがをめぐる笑い話が載っています。
人はその独特の香気と歯触り、辛みを重宝しているのに、みょうがには何の罪もなく、まったくいわれのないことで迷惑な話です。
●暗闇の中で育つ
ショウガ科でアジア東部温帯地方が原産。春、地面から生える柔らかい茎のみょうがたけと秋に蕾(つぼみ)である花みょうがを食用としています。
京都では伏見桃山の地の特産でした。豊臣秀吉が伏見城を築いた山麓(さんろく)は傾斜地で地下水が湧出(ゆうしゅつ)し、それを利用して蘘荷の促成栽培が工夫されたのでした。
畑にカマと呼ぶ溝の両側を板で囲み、底に砂を敷いて湧水を流し、上部を莚(むしろ)などで覆って寒さを防ぎ、軟化栽培します(写真上)。
掘り取ってカマに入れると50日ほどで幼茎が育ってきます(写真下)。時折、覆いを外して朝の陽(ひ)に何度か当てて、薄紅色に色づけした後、出荷されます。
JR大和路線が走り、昔の街道筋の面影をとどめている六地蔵町の新町街道沿いの栽培は昨今は衰え、今は城陽市の観音堂地区でも数軒の農家がやはりカマを作って栽培していました。
蘘荷は夏から初秋にかけ、淡黄色の唇形の花を次から次へと咲かせます。「明るさに馴(な)れぬ怯(おび)えの花茗荷」(能村登四郎)の吟そのままです。花蘘荷の収穫です。
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[文・写真:菊池昌治]
【菊池昌治の著作】
『京都染織模様 (日本図書館協会選定図書) 』
『京都転転』
『京都 味の風土記 』
『万葉散策』
『京都文学巡礼―作家の眼で見た古都像』
『京都ひと模様』
『京洛往還記』