●菜の花尽くし
春たけなわの景色に菜の花の黄色い彩りは一幅の絵でした。「菜の花畠に入日薄れ 見渡す山の端 霞(かすみ)深し……」という唱歌を自然に口ずさんでしまいます。
「菜の花や月は東に日は西に」という蕪村の句は烏丸通仏光寺西入ルに夜半亭を営んでいた頃の近郊を吟じたものです。
東山の麓(ふもと)の白川あたりを吉井勇は「昔から花売女の出るところとして聴えてゐるだけに、何処(どこ)もかしこも花畑だらけで、如何(いか)にも菜の花に夕陽のあたつた春の日暮などには、何処かそこらの草陰に狐(きつね)が長々と眠つてゐさうな、いくらか妖気を帯びたのどけさが到ることろで見られた」と描いています。
比叡山の麓を描いたのは夏目漱石です。「遥(はる)か向ふには白銀の一筋に眼を射る高野川を閃(ひら)めかして、左右は燃え崩るゝ迄(まで)に濃く咲いた菜の花をべつとりと捺(す)り着けた背景には薄紫の遠山を縹渺(ひょうびょう)のあなたに描き出してある」とは『虞美人草(ぐびじんそう)』の一節です。
●糠の風味の花漬
高野川の西、五山の送り火の「妙」「法」を仰ぐ松ヶ崎の地では昔より菜の花を糠(ぬか)で漬け込んだ『花漬』が知られていました。早春に出回る塩の浅漬とはまったく違い、自然発酵した深い味わいの漬物です。漬け菜としての葉が縮緬(ちりめん)状の伏見寒咲菜種である花菜(はなな)と在来品種の松ヶ崎の菜の花とは品種を異にしています。
菜の花畑に出会ったのは松ヶ崎大黒天のあたり。比叡山が借景として霞んでいました(写真上)。花漬には咲きかけからせいぜい五、六分咲きまでで摘んでしまうので漱石の描写のようにはいきません。菜種油を採取するための栽培であった大正期までの一面の菜の花畑の昔がしのばれます。
下漬けのために塩が振られると、花の黄、葉の緑、塩の白とその鮮やかな色の対比に息をのみました。
本漬けで赤い鷹(たか)の爪(つめ)を散らし、糠布団を載せて重石をして軒先で春の陽(ひ)とぬくもりの中で3週間、穏やかに自然発酵し、漬け上がった花漬はべっ甲色に鈍く光っていました(写真下)。
その味わいは惜春賦 (ふ)、あるいは濃密な春の余韻。
止
[文・写真:菊池昌治]
【菊池昌治の著作】
『京都染織模様 (日本図書館協会選定図書) 』
『京都転転』
『京都 味の風土記 』
『万葉散策』
『京都文学巡礼―作家の眼で見た古都像』
『京都ひと模様』
『京洛往還記』