●消夏の野菜
京の酷暑は既に清少納言が「冬はいみじう寒き、夏は世に知らず暑き」と書きとどめています。湿度の高さは脂汗をしぼりとるような『脂照り』を生みます。
日中の熱暑が残る夕まぐれ「夕涼みよくぞ男に生まれけり」と呟(つぶや)いて、思いきり身軽な姿になってしまう男ならではの一刻の涼。
「夏の夕べをいろどる日本的食品の秀逸だと信ずるばかりか、このまま廃絶させてしまうには惜しい夏の味の一つ。夕方、白麻の甚べえ姿の祖父がニガウリの酢みそ和(あ)えを肴(さかな)に酒を飲む光景」を挙げ、「鎮静」と「清涼」を見ているのは食に一家言持っていた壇一雄です。
苦瓜(にがうり、写真上)は熱帯アジア原産で江戸初期に渡来しました。蔓茘枝(つるれいし)と呼ばれ、観賞用として栽培されました。秋には黄熟して先端が裂開し、真っ赤な果肉に包まれた種を出しますから、そんな姿を賞(め)でたようです。
江戸後期の農業の百科全書ともいうべき『成形図説』にはヘチマとともに垣根に蔓(つる)を這(は)わせて描かれています。
●「廃絶」どころか
小学校では、なべて理科の観察用にと校庭の一隅にヘチマの棚を作っていましたが、訪ねると、どの小学校でも苦瓜がとって代わっていました(写真下)。現代の生活の中ではヘチマより苦瓜の方が身近な野菜だからということでした。
苦瓜の生産量は90年代からの10年間で5倍以上に伸びていますから、食卓に登場する頻度も上がるわけです。
そうはいっても壇の一文は大正6(1917)年に執筆されたもの。当時は「廃絶」しそうな野菜でした。
名前の通り、苦みが持ち味の野菜で、本場の沖縄ではナーベラー(ヘチマ)、パパイヤと並ぶ夏の貴重な青野菜です。
最近は品種改良によって、ぽってりと肉厚の緑濃い沖縄産の他に、苦みが少なく、長細く、緑色も白っぽい品種が出回っています。
苦みはモモルデシンという成分で、肝機能を高める役割を果たします。
豆腐といためてゴーヤチャンプルー、薄切りにし、削り節を振ってしょうゆをかけて酒肴(しゅこう)に、薄切りに熱湯をかけ、紫蘇(しそ)の葉を刻んで三杯酢など、いずれもほろ苦さと口中に残る爽(さわ)やかさが味わいの夏野菜。
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[文・写真:菊池昌治]
【菊池昌治の著作】
『京都染織模様 (日本図書館協会選定図書) 』
『京都転転』
『京都 味の風土記 』
『万葉散策』
『京都文学巡礼―作家の眼で見た古都像』
『京都ひと模様』
『京洛往還記』