●春の七草
新しい年の訪れに古今、人はさまざまな思いを巡らせてきました。「正月一日はまいて空のけしきもうらうらとめづらしう」は『枕草子』。近代に入って「去年今年貫く棒の如(ごと)きもの」とは俳人の高浜虚子。
おせち料理や祝い酒に疲れた胃や肝臓をいたわるかのように正月七日の人日の節句に芹(せり)など早春の七草を摘み取り、七草粥(がゆ)として食べる風習があります。万葉の昔から野に出かけての若葉摘みは行われてきました。芹は「ますらをと思へるものを大刀佩(は)きてかにはの田居にせりそ摘みける」と腰に刀をさしたままの男性も芹田に入って摘んでいます。「かには」とは相楽郡棚倉村にある地名です。万葉人はその高い香気と食感を賞味してきました。
平安時代に芹を摘むことは願いが叶(かな)わないことの例えでした。『更級日記』は「いくちたび水の
田芹を摘みしかば思ひしことのつゆもかなはぬ」と記して嘆いています。
風に揺れた御簾(みす)の隙(すき)間から芹を食す高貴な女性を見た男が恋焦がれて今ひとたび垣間見たいと芹を摘んでは届けましたが思い叶わず死んでしまったという故事に拠(よ)っています。
●鮮やかな色と香気
芹はかつては鴨川など流れのある所に自生していました。水を引いた田に栽培することも平安京の低湿地では行われていました。
今では洛南の久世付近で芹田(写真上)を見かけますが、宅地化が進む状況の中で激減しています。
冬の陽(ひ)を浴びて『緑のじゅうたん』と形容したくなる緑鮮やかでやわらかい葉はその名の起こり
のように競(せ)り合って伸び、押しくらまんじゅうをしているかのようです。
芹の栽培にはきれいな地下水は欠かせません。膝(ひざ)下まで水に漬かって、絡み合って繁茂する根を引きちぎって収穫する作業は、冬は温かい地下水とはいえ、寒風の中の重労働です(写真下)。傍らの野小屋で水洗いし、朽葉などを除くと芹特有の香気と葉の緑、茎の白さが際立ってきます。
芭蕉は「我がためか鶴食(は)み残す芹の飯」の句に「其(その)世の侘(わび)も今さらに覚ゆ」という言葉を添えて、その枯淡の風味をいとおしんでいます。
止
[文・写真:菊池昌治]
【菊池昌治の著作】
『京都染織模様 (日本図書館協会選定図書) 』
『京都転転』
『京都 味の風土記 』
『万葉散策』
『京都文学巡礼―作家の眼で見た古都像』
『京都ひと模様』
『京洛往還記』