●花の瞳
日ざしの明るい夏の訪れを実感する野菜の一つに空豆があります。一茶が「空豆の花に追われて更衣(ころもがへ)」と吟じています。空豆の3弁の花(写真上)は初々しさよりはどこか成熟した女性を思わせ、赤みを帯びた黒い部分は、こちらを見つめる瞳のようです。「そら豆の花の黒き目数知れず」とは中村草田男の句。
一茶はその瞳にせきたてられるように更衣を実感しますが、子どもを幼いままに次々と亡くし、妻も、最後の一児までも失っています。花の瞳は子どもたちのそれに重なったかもしれません。
空豆の葉は両手をひろげて精いっぱい空に向かって伸ばしているようです。抱き上げて、高い高いをされてはしゃぐ子ども。初夏の空は一茶にはまぶしい明るさだったことでしょう。
そんな葉を支える茎は吹き来る風に耐えるためか、断面が四角形で中空をなしています。
●蚕に似て
花のあだっぽさとは違ってその莢果(きょうか)はごつごつとした凹凸をもっています。しかも葉と同様、空に向かって突き出すようにして伸び、成長してゆきます。もっとも実が成熟し膨らんでくると自らの重みに素直に下を向くのですが(写真下)。
貝原益軒は『大和本草』で「其実空ニ向フ故ニ名ツク」と記していますが、絹糸を吐いて繭をつくる蚕(かいこ)を飼う季節と重なり、蚕の姿形に似ていることから蚕(そら)豆ともされます。
蚕の食べる桑の葉の緑もやわらかで美しい色ですが、莢(さや)の中で白い綿にくるまれた空豆の実の薄緑色も匂(にお)うようです。塩ゆでした時の色と香りに我知らず心が軽やかにはずんでゆきます。江戸っ子が空豆をこよなく好んだというのも、その気質を垣間見せています。
●お歯黒はヘソの緒
どこか鷹揚(おうよう)とした平たい豆の皮の一端が黒く一文字になっていますが、この部分は「お歯黒」と呼ばれています。これは豆と莢がつながっていた名残で、このお歯黒を通じて栄養分をもらいながら育ちます。いわばヘソの緒といえるものです。
「そら豆はまことに青き味したり」は細見綾子の句。塩ゆでして薄緑色の味と匂いを味わいますが、蜜を含ませた青煮、皮ごと煮しめた鎧(よろい)煮などもその持ち味が生きています。
止
[文・写真:菊池昌治]
【菊池昌治の著作】
『京都染織模様 (日本図書館協会選定図書) 』
『京都転転』
『京都 味の風土記 』
『万葉散策』
『京都文学巡礼―作家の眼で見た古都像』
『京都ひと模様』
『京洛往還記』
素敵な内容で、大好きです