●葉のつよさ
陰晴定めない京都の冬空の下、いたたまれない独特の底冷えが足元から這(は)い上がってきます。
「くくるか、時雨(しぐ)れてくる」と酸茎菜(すぐきな)を収穫していた農家の人がつぶやきました。
冷たい時雨はほどなく霰(あられ)に変わり、パラパラと、そしてパシッ、パシッと酸茎菜の葉を激しく打ち過ぎてゆきました。一刻、葉はうちしおれるどころか、かえって生気を漂わせてすっくとした姿を見せています。酸茎菜が内包する『野性』を垣間見た思いがしました。葉の色も緑が黒味を帯びて凄(すご)みさえ感じさせています(写真上)。
酸茎菜は上賀茂の特産野菜であり、乳酸発酵させた漬物として知られています。
収穫する時、その葉を傷つけぬよう大事に扱われます。漬物のもう一方の雄として千枚漬の聖護院蕪(かぶら)の葉がその場で無雑作に切り捨てられ顧みられないこととの何という違い。
「この葉が持ち味、おいしいんや」と根を面取り(写真下)しながらの声でした。
●乳酸発酵して
つるつるに面取りされ、塩が振られると濃い緑に雪が積もったようです。荒漬け、梃子(てこ)の原理を応用した天秤圧(お)しで追い漬けしてゆきます。丸太の一方に重しの石を吊(つ)り下げ、ズラリと並んだ樽(たる)の野漬けの風景は洛北の冬の風物詩でしたが、今は屋内での機械圧しが主流となってきました。
酸茎漬の何よりの特長は凍(い)てつく寒さを貪(むさぼ)るようにして糖度を上げ、それが乳酸発酵によって微妙で独特の味わいを生み出すのです。以前は春の暖気に頼った自然発酵の時候漬けでした。春が食べ時でしたが大正の半ばごろ、地室(むろ)を利用した加熱保温で発酵が促され、出荷が早まりました。
江戸後期、上賀茂神社の社家の一人が江戸の太田蜀山人に酸茎漬を送ったところ「都より粋(酸=す=い)な女(御菜)を下されて東男の妻(菜)とこそせめ」という狂歌が返ってきました。
その販売は明治の半ば以降盛んになり、阪神地域にまで上賀茂女が売りに出掛けました。
緑濃い葉も白い根部も漬け上がると鈍い光沢を放つ飴(あめ)色を呈して確かな存在感を示しています。酸茎漬には京の厳しい冬が映り込んでいます。
止
[文・写真:菊池昌治]
【菊池昌治の著作】
『京都染織模様 (日本図書館協会選定図書) 』
『京都転転』
『京都 味の風土記 』
『万葉散策』
『京都文学巡礼―作家の眼で見た古都像』
『京都ひと模様』
『京洛往還記』