●かつては伏見の特産
春たけなわのころ、独活(うど)の収穫に立ち会おうと宇治川に架(か)かる伏見の観月橋に降り立つと、そのたもとに「淀川 從是(これより)下至海」と刻まれた標(しる)べ石がありました。琵琶湖から流れ出る唯一の河川である瀬田川は宇治川と名を変え、やがて鴨川、木津川と合して大阪湾へ注ぐのです。
宇治川をさかのぼり、南流してきた山科川へと歩を移しました。京阪宇治線とJR大和路線が平行して桃山御陵の麓(ふもと)を走っています。
山科川の堤防に接して畑にドラム缶を半分に切ったような円筒形のものが並んでいます。その中で独活が育っているのです。昨秋訪れた時、「ウドの大木」となったものを伐(き)り払い、地中の株の上に波板トタンで円筒形を作り、そこに土を盛り込んで上部を覆っていました(写真上)。
土中の暗闇で生長させる軟白栽培が伏見桃山の地で江戸時代から行われてきたのです。
口丹波の亀岡の地では親株を掘り取り、藁葺(わらぶ)きの小屋を作り、光を遮閉して軟白栽培しており、春まだきの2月ごろ、寒独活として出荷されます。「残雪の丹波よ独活を食(は)めば見ゆ」は飴山實(あめやま・みのる)の句。
●暗闇の中で
日本原産の独活は『出雲国風土記』に「麦門冬(ばくもんどう)・独活(つちたら)……」と挙げられているように古くから身近な山菜でした。独活の姿はタラの木の若芽そっくりですから、土から芽を伸ばす姿そのままの読みです。
芭蕉の「雪間より薄紫の芽独活かな」、杉山杉風(さんぷう)の「尋ねばや古葉が下の独活の萌」の句は早春の山独活の自生している姿を吟じたもの。
季節感を運んでこその野菜という意味では、独活の香気と食感は春そのものといえます。波板トタンをはずすと土が崩れ落ち、手でかきわけると生々しいほどに白い独活が姿を現しました(写真下)。一瞬白骨を思ってたじろいでしまいましたが、見つめると微妙に変化した姿形はなかなか興を誘うものでした。
「ひる酒のほろほろ酔ひに独活の芽の山椒和(さんしょうあえ)を食(た)うべ惜しみつ」(太田水穂)の吟に心惹(ひ)かれたのは酔徒の故でしょうか。独活は酢のもの、和えもの、いためもの、吸いものと捨てるところがありません。
止
[文・写真:菊池昌治]
【菊池昌治の著作】
『京都染織模様 (日本図書館協会選定図書) 』
『京都転転』
『京都 味の風土記 』
『万葉散策』
『京都文学巡礼―作家の眼で見た古都像』
『京都ひと模様』
『京洛往還記』