●手のひらにスッポリ
春告げ鳥とは鶯(うぐいす)のことですが、厳寒の冬を耐えしのんで明るい陽光と温かさを待ち望むのは動物も植物も生きとし生けるものがみな等しく抱く思いです。
花ならば百花の魁(さきがけ)の梅。芭蕉文集の「常盤屋句合(ときわやのくあわせ)」には「八百屋の軒に梅をあらそひ、鶯菜にも初音まちたる心地するに」とありますが、風の寒い春は名のみの2月ごろ、鶯の初鳴きを聞くといいます。そのころに汁の椀種(わんだね)として珍重されるのが鶯菜です。
江戸の中期に早生種を作出しようと大阪の天王寺蕪(かぶ)から選抜淘汰(とうた)された小蕪です。
川風が冷たく吹き渡る桂川の河川敷にビニールのトンネル栽培でわずかに栽培されていました。親指と人差し指で葉をつまみ上げる(写真上)と小指の爪先ほどもない根をつけています。何といういじらしい、か細い根でしょう(写真下)。葉とともに手のひらの中にすっぽりとおさまってしまいます。そのいたいけな姿に、生きるため、美食のための人の口腹の欲の深さを思ってしまいました。
そんな蕪ともいえないような根はきれいに面取りして、葉の浅緑も生かして汁の浮きみとして、いち早い春の気配を味わうのです。
●鶯の初音
「鶯菜汁になりてはくひな哉」(斎藤徳元)の「くひな」とは「水鶏」であり「食い菜」をかけてあります。江戸の地では小松菜の幼いものを鶯菜と呼びました。黄表紙作者の酒上不埒の「野べにまだ葉ものびかねし鶯菜つめど微かなねにこそありけれ」との狂歌。しのび音と鶯菜の値。
『本朝食鑑』は「蕪菁(かぶら)」として「ソノ生ジテ二、三寸ナル者ヲ采(と)リテ蔬(あつもの)ト作ス、此人鶯菜ト号ス、イハバ鶯ノ飛ビ啼(な)ク時ニ当リテ生ズカ」としています。
そのやわらかな早緑(さみどり)の葉色が鶯の羽色に似ているからその名がついたともいいます。その根の小ささは蕪村の「うぐひすの鳴くやちひさき口明イて」の吟に重なります。
おずおずとした初音もやがて谷渡りの時季となり、桜が咲けば鶯菜のことなど人は忘れ去って、旬を先取りすべく新たな口腹の欲を満たしてゆきます。
止
[文・写真:菊池昌治]
【菊池昌治の著作】
『京都染織模様 (日本図書館協会選定図書) 』
『京都転転』
『京都 味の風土記 』
『万葉散策』
『京都文学巡礼―作家の眼で見た古都像』
『京都ひと模様』
『京洛往還記』