●調味の基礎
梅は、春を心待ちにする人々の心を、その色、その香、その姿でとらえ、実は貴重な食材となってきました。
古代における調味料は塩と酢でした。酢は梅からつくり出されました。「塩梅(あんばい)をととのえる」という言葉がその証左です。
●その実用性から
梅干しに紫蘇(しそ)を用いる方法は日本独特のもので、江戸中期の『農業全書』には梅漬に紫蘇を用いることが記されています。
梅で知られる水戸の偕楽園をつくった水戸斉昭は『種梅記』で「夫(そ)れ梅のものたる。華は則(すなわ)ち雪を冒(おか)して春に先んじて風騒の友となり、実は則ち酸を含み渇(かわき)を止め軍旅の用となる。嗚呼(ああ)、備ふる有るは患ひなし」と記し、梅の実用性が着目されました。
梅の栽培が一気に拡大したのは軍需食材として日清・日露の戦争後からでした。『日の丸弁当』はその中から生まれたのです。
第二期「尋常小学校読本巻五」には「もとよりすっぱいこのからだ/しほにつかってからくなり/しそにそまって赤くなり/七月、八月あついころ/三日三ばんの土用ぼし/(中略)/うんどう会にもついて行く/ましていくさのその時は/なくてはならないこのわたし」という製法と用途を教える文が載りました。
●城陽青谷の梅
梅干しに時代が映ります。しかし、梅干しは人々の生活に溶け込み、食生活のアクセントになっています。
京都では城陽市青谷の梅林が知られています。1830年代の天保年間には淀藩の庇護(ひご)で観梅の宴が催されたりしたようです。幕末は染色の紅花から紅色を抽出する媒染剤の烏梅(うばい)生産のための梅栽培となりました。
明治に入ってから大粒白梅の城州白などの品種が栽培され、果樹として出荷されるようになりました。
青谷梅林は20haの面積に6種1万本の規模です。JR青谷駅から東へ20分ほど歩くと梅林(写真上)が展開してゆきます。木洩れ陽(こもれび)を浴びた梅の実(写真下)は「青梅のしり美しくそろひけり」という室生犀星の句のほほえましさ。収穫された梅の青さに蕪村の「青梅に眉あつめたる美人哉」の吟は美人を見つめる人の眉もまた。
やがて入梅、梅雨に入ります。梅の実が熟す季節だからの名称です。
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[文・写真:菊池昌治]
【菊池昌治の著作】
『京都染織模様 (日本図書館協会選定図書) 』
『京都転転』
『京都 味の風土記 』
『万葉散策』
『京都文学巡礼―作家の眼で見た古都像』
『京都ひと模様』
『京洛往還記』