激変する世界に向けて1200年生き延びてきたKYOTOから生き延びる智慧とヒントを発信

●瓜見の雅遊
 かつて京都と奈良の境に位置する狛(こま)の地は越(しろ)瓜の特産地で、7世紀後半の古代歌謡『催馬楽(さいばら)』に「山城の 狛のわたりの瓜つくり、な、なよや、さいしなや」とあります。平安期の年中行事などを記した『延喜式』は、「供奉(ぐぶ)雑菜」瓜を栽培して毎年漬け込んでいたことを記録しています。

 その越瓜をしのばせるものに伝統野菜の桂瓜があります。瓜畑で葉に隠れるようにして蔓(つる)をのばした淡い緑色の瓜の姿形には、大らかさが漂っていて、見飽きませんでした(写真上)。かつての洛西の桂の地は鄙(ひな)ぶという言葉が似合っていました。

 「永遠なるもの」と評された桂離宮は八条宮智仁親王が「瓜畠(うりばたけ)のかろき茶屋」を営まれたのが始まりです。親王の元和2(1616)年の日記には「六月二十七日、川勝寺で瓜見、桂川を逍遥(しょうよう)、公家衆連歌衆乱舞衆を同道す」とあります。瓜見とは今でいえば瓜畑に足を運び、瓜を収穫して賞味する瓜狩なのでしょう。甜(なめ)瓜と呼ばれた真桑瓜とも考えられますが、ここは桂瓜と考えたくなります。そののびやかでおおどかな風姿を見つめていると、その姿や形、そして月の名所とされた桂の地での月光を浴び、夜露を宿した桂瓜の風情を賞(め)でた雅遊であってこそふさわしい。

 ●その食感
 明治初年の地誌は下桂村の産物として「越瓜二万本」と記しています。

 桂瓜は肉質が厚く、緻密(ちみつ)で、塩漬けの後(写真下)、長年粕(かす)に漬け込んでもヘタらず歯切れよく、艶(つや)のあるべっ甲色を呈して奈良漬として重用されてきました。

 越瓜を薄葛の汁椀(わん)などにつくる際、剥(む)いた皮を捨てずに「食前一時間、糟味噌(かすみそ)に漬けて、それで一番美味(おいし)く漬けもの通になりすま」したのは京都人の北大路魯山人です。「パリパリと舌ざわりよく、色青くして、夏の夕餉(ゆうげ)には、それこそもってこいである。酒やビールの肴(さかな)にも申し分ない。この料理は、昔から京都人の日常生活に入っている漬けもの中の一名案なのである」と開陳しています。

 「浅漬の瓜の清白噛むひびき」は草城の吟。

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[文・写真:菊池昌治]

【菊池昌治の著作】

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