1995(平成7年)1月17日 午前5時46分。阪神淡路大震災が起こる。
当時、大阪市内に住んでいた。震災の起こる数分前、カラスの鳴き声と飛び立つ羽音で目を覚ました。直感で感じたのは野生の生き物が「逃げていく」感じ。これまでこんなことでは起きなかったし、起きてもまた眠りにつくものだが。
だが、この時は違った。何かに不安を駆り立てられ、悪い予感がする。カーテンを開けて、外の様子を見るが何も変化なし。時計を見ても、仕事に起きるには早すぎるし、かといって目と神経は冴えてきてとても眠れそうにない。 「どうしようか?」そんなことを考えているうちに、これまで感じたことのない重低音の地鳴りと共に大地の底から揺さぶられ始めた。
地震の少ない地方から出てきた私にとって、耐え難い、受け入れられない恐怖が身体を支配した。ベッドの前に置いてある21インチのブラウン管テレビが、テレビ台の上でぽんぽん飛び跳ねている。咄嗟に押さえに行こうと思ったが、地震の揺れに翻弄されて身体がそこまで動かせない。今にもベッドに飛んできそうなのに、見守るしか出来ない。どれだけ時間が経ったのか、そんなことさえ分からない。圧倒的な恐怖に支配され、そこから逃げようと動くことさえ出来ず、終わるのを待つしかなかった。
情けないことに、なにも出来ない状況で耐えていると、やがて地震は去っていった。あとで知った頃だが、数十秒の出来事だった。放心状態から抜け出してまずしたことは、テレビ台で我慢してくれたテレビをつけること。NHKを見ると、数分後に地震の放送を始めた。まだ、数分後のことで情報などなく局内が地震でどうなったかなど映像で流しながら、いわゆる地震速報を伝えはじめた。震源地は淡路島の方だが、震度や被害の状況はよく分からず、地震のあったことを繰り返すだけ。
そのうち、神戸支局の映像が流れ始めた。恐ろしく強いゆれるオフィスの映像だ。そしてしばらくして、ヘリを使った神戸の映像が流れ始めた。あちこちで火の手が上がっている。黒煙が濛々と上がっている。ビルは崩れ落ち、高速道路はなぎ倒され、まるで空襲を受けたような酸鼻な町の様子が映し出されている。2001年にニューヨークで起こる9.11のテロ時のような、SF映画のような情景が映し出されている。
しかし見ている映像は、バーチャルな感覚でしかなく、どこかよその国で起こっているような感覚しかもてない。まるで映画かドラマか。天災にあった感覚が感じられなかった。そうしているうちに出勤時間となり、いつものように出かけていった。これが阪神淡路大震災の起こった時の記憶だ。どこかよその知らない場所で起こったような感覚しかなかった。だって自分は無事だから。
それからの放送は、すべて震災のこと。余談だが震災当日、通販番組を放送していて世間から徹底的に叩かれた在阪局もあったという。恥ずかしくないのだろうか?
時間を経るごとに、地震災害の大きさが伝えられ始める。延々と燃え広がる火災被害。事態の把握が出来ず、のんびりとした政府の対応。地震そのものよりも、いいかげんな救助対応から二次的な災害で奪われていくあまりにも多くの命。
そんな状況を被災地の安全な真横で見ながら、どうしてか「当事者は大変だな」と他人事で見ていた。自分が被害に遭っていないので、当事者の痛みや悲しみが分からない。その証拠に、震災の翌日、友人たちで予約していた大阪での宴会は何事もなかったように開催。大被害を受けているわずか数十キロ東で、飲めや歌えの大騒ぎ。楽しいはずの時間が、なぜか虚しく感じたのを覚えている。
そして震災から2週間後、仕事で神戸に向かうことになる。
【文:kubo】