激変する世界に向けて1200年生き延びてきたKYOTOから生き延びる智慧とヒントを発信

前回(002)からの続き~

 船内には、たくさんの生活必需品が揃っていた。食べ物も、調理する火気も水も。寝台には毛布があり、明かりや暖房まで整っていた。おまけにここは水の上。よほどの余震がない限り、二次災害はありえない。シャワーまで完備されていた。私はしっかり食事をいただき、くつろぐことが出来た。

 食後、集まったクルーと暫し談笑。ところが、話の内容には笑えなかった。前に来たクルーの話だったが、(ということは震災後間もない頃)取材を終えたクルーが夕食を南京町でとろうと向かった。ほとんど店など開いていない中で、営業をしてくれている店に入り、普通に飲み始めた。酔った彼らはだんだん調子に乗り、あれはないのか?どうして出来ない?と酔いに任せてぼやき始める。次第に激しくなり、店主と口論に。マスコミのあまりの傍若無人な態度にいかった店主は他のマスコミに訴え、問題になったそうだ。情けなくも当たり前な話に、まだ駆け出しだった私は愕然とする。

「こんなものか?」。

缶ビールを飲みながら、その話を笑い話にして船の底で笑わなければいけない自分が情けなかった。

 私は、あまりの空気の悪さに外に出る。真っ暗な波止場の、がたがたに崩れたブロックにしがみつきながら。外はこれといった電灯もなく、手探りで動かなければいけない。当たり前だが2月の水辺は恐ろしく寒い。恐ろしくちっぽけな自分を感じ始めた頃、遠くのほうから、いや地面の底のほうから地響きと共に岸壁のコンクリートがゆれ始めた。反射的に手当たり次第、何かにつかまるが、水面に浮く木の葉のようにユラユラ揺れるだけ。なすすべもない。じっと地震がおさまるのを待つ。長く感じる。
 
 どれくらい経ったのか?やがて揺れは収まり、また手探りでサルベージ船に戻る。この揺れを被災地で感じている人たちは、どんな思いだろうか?そんなことを考えながら、震災神戸での夜は過ぎていく。明日からまた、同じ避難所で取材の日々が続く。

 持って行ったインスタントカメラは、船上で2枚撮れただけ。被災者はおろか、本当に大変なところではシャッターが押せない。生半可な気持ちでは、震災の現場はとらえられない。

【文:kubo】

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