激変する世界に向けて1200年生き延びてきたKYOTOから生き延びる智慧とヒントを発信

●底冷えの京都から

 人は冬の寒さにかじかみながら、弥生3月を待ち望み、春の息吹を思って束の間、心を温める。「去年今年つらぬく棒のごときもの」(高浜虚子)という句の如く、穏やかな日の連なりであれば自然の糸なもの中で咲く花に彩られて今日は明日となって行く。
 そんな日々の暮らしに不条理と言うしかない楔を打ち込んだのが3月11日の東日本大震災だった。その日から昨日と今日は截然と分かれたままである。

 今冬、京都は長く、独特の底意地の悪い寒さが続いた。降りみ降らずみの京都らしい陰晴定めない鈍色の空がうち続いた。そして雲も決して雪国のように霏々として降るわけではなかったけれど、薄雪を見せた。そんな日は北に思いをやることしきりとなった。

「3月11日夕、東北の震災被害地では広い範囲で雪が降った。津波にずぶぬれになった人、・・・・暖が取れない状況の中で、冷たい雪は多くの人々の目には非情の雪と映った。
天候は夜に回復し、満天の星空が広がったが、それもまた『無情の星空』。放射冷却で翌朝にかけて激しく冷え込み、多くの命を苦境へと追い込んだ」と地元紙の河北新報は伝えた。
「非情の雪」「無情の星空」と言う文学的表現は雪月花という王朝的美意識の系譜の果ての表現なのだろうか。
自然の在りようからいっても、歴史的経緯から見ても遥かに遠い。
『万葉集』の最後を飾ったのは「新しき年の初めの初春の今日降る雪のいやしけ吉事」と言う和歌である。雪は五穀の精を表象する吉兆であった。そして春の萌しの中で山並みに描かれた残雪の姿で、その年の農事の始まりの時が判断された。そして桜が咲くと、その花の散り様で秋の豊凶が占われた。人々の生活は自然と一体となって営まれたきた。
 
 平安京においては桜咲く頃は都市的側面としての疫病の拡がりを見せる時季でもあった。洛北紫野の今宮神社のやすらい祭は、
「やすらえ、花よ」と散り急ぐ花をとどめ、厄災から逃れるべく営まれる魂鎮(しづ)めの、祭りであった。夏の祇園祭が疫病の流行と権謀術数の果てに非業の死を遂げた人の怨霊の祟りとしてその鎮撫のために執行された御霊会信仰と軌を一にする。
 かつて、雪や桜は農耕の祈りを色濃く映す花であった。

●京洛の老桜、名桜

 無慈悲な惨状をとどめた被害地に、やはり季節は巡り、桜は咲いた。その土地土地にはその土地の人の心を映してきた桜があり、人は咲く一刻を待ちもうけてきた。あの日以来桜は人の世の、人の心の何をあぶり出すのだろうか。

 さて、京都である。洛中の桜では誰しもが円山公園の枝垂桜に指を屈するだろうが、この桜は昭和22年に枯死した。

円山公園枯死した枝垂桜

円山公園枯死した枝垂桜


「老ひらくの桜あはれと思へどもものゝいのちはせんすべもなし」とは ”祇園歌人”を謳われた吉井勇の枝垂桜への挽歌。現在の桜は先代の種から育てられた桜だが、そのほっそりとした若木を口さがない京雀は「貧相な桜」、「花の咲かん桜」とあざけった。
時を重ね、、かつての名桜の面影を現前させたとき、人はその元に拝跪した。
円山公園枝垂桜昭和28年

円山公園枝垂桜昭和28年

 平安神宮深遠に咲く八重紅枝垂桜もまた京の人々の心をとらまえている。「この神苑の花が洛中における最も美しい、最も見事な花であるからで、円山公園の枝垂桜が既に年老い、年々に色褪せて行く今日では、まことに此処の花を措いて京洛の春を代表するものはないと云ってよい」と蒔岡家の四人姉妹が春宵に移ろうとする一刻、八重紅枝垂桜の下をあでやかにさまよう景を描くのは谷崎潤一郎の『細雪』である。

平安神宮紅枝垂桜

平安神宮紅枝垂桜


 谷崎は、「くれなゐの雨としだれしその春の糸桜かや夢のあとかや」、「紅枝垂ゆたにしだるゝ下蔭をめぐりて立ちし姉と妹」、
「春の日の太極殿の廻廊に立ちつくした人々や誰」と松子夫人たちと年に一度桜の下に立った時を追憶して詠じている。その谷崎を看取り、「花狂い」を自認していた夫人は「在りし日を語り尽きねど紅枝垂咲きのきはみに君遠からず」と返している。
谷崎の墓は洛東の法然院の墓所に「空」、「寂」と刻まれた二つの自然石があり、紅枝垂桜が影をおとすひともとにある。
法然院

法然院

 平安神宮神苑の八重紅枝垂桜をもう一人の文豪川端康成が『古都』で描いている。
「西の廻廊の入り口に立つと、紅しだれ桜たちの花むらが、たちまち、人を春にする。これこそ春だ。垂れしだれた細い枝のさきまで、紅の八重の花が咲きつらなっている。そんな花の木の群れ、木が花をつけたというよりも、花々をささえる枝である。(中略)『しだれた細い枝も、それから花も、じつにやさしくて豊かで・・・。』/そして、八重の花の紅には、ほのかなむらさきがうつっているようだった。/『こんなに女性的とは、今まで思わなかった。色も風情も、なまめかしいうるおいも』。」という桜への詠嘆は主人公である千恵子そのひとへのものであった。
 
 谷崎と川端と言う、古き佳き京都をこよなくいとおしんだ二人の作家の、八重紅枝垂桜への頌歌(しょうか)。

谷崎の墓

谷崎の墓

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